【BTC】信じるということは面倒くさいことを避けること

ただの日記。

 

私は会社でよく「〇〇は人を信じがちだから、少しは疑った方が良いぞ」と言われる。

 

自己評価では自分はとにかく疑う人種だと思っていたが、どうやら周りからの評価は違うらしい。自分は似非ではあるもののビットコイナーだったのである程度疑い深い人間だろうと思っていた。

 

ではなぜそう思われてしまったのか、というのを言われてちょっと考えてみると、なるほど理由は簡単だった。

 

何かを信じる」ということはつまるところ、

信じられる根拠を調べるのが面倒くさい」からだ。

 

本来ならば、

  • その言葉は信じられるのか、裏付けはあるのか
  • その計画に穴は無いか
  • その話に現実味はあるか

等々を調査したり逆算して正しいかどうかを見極めて、その上で信じるという工程になる部分を「信じる」と決めたらその工程すっ飛ばせるからね。ラクチンだよね。

 

なるほどそう考えると会社で「人を信じやすい」と見られるのは至極最もなことだ。信じた方が楽なのだから。人の発言なんか信じようが信じまいがコロコロ変わる時は変わるもんなので、いちいち裏切られたパターンまで考えるは本当に面倒なのだ。

 

が、もう少し考えると、それでもやっぱり私は人をあまり信じてないことに気づいた。

 

私が良くやるのは証拠を必ず押さえておくこと。後で意見を変えられた場合に出せるカードをあらかじめコレクションしておくこと。そうすれば裏切られた場合、「あの時こう言いましたよね?」とか「あの時の議事録で言っていることと矛盾してますね?」と後から突っつくことができる。「信じたフリ」をした後に裏切られたらカードを切るだけでいいのだ。ラクチン。

 

当然、それでは後で面倒になる案件は裏付けを調べるので結局話の内容次第ではあるが、基本的には「信じたフリ」で切り抜けることが多い。

 

なんだそうなると結局私は何も信じていない人種じゃないかって所に戻った。信じるって言葉は良いよね。なんか聖なる言葉に聞こえる。

 

さて、そんな「信じる」ということとは真逆の「疑う」という言葉のなんと負のイメージが強いことか。(※当社比調べ)

 

でも実際には上記のように、世間のイメージと私の中のイメージは真逆で、「疑う」ことこそ正義であると思うのです。だって「疑う」というコストを払ってまでその事案に向き合ってくれるんだよ?凄いじゃん。ちゃんと人的リソース/エネルギーを使って動いてくれるんだよ。

 

なのでよく「疑う」人のことを、私は「信じる」ことをよくやってる。これ楽なのよ。疑う人はトコトン突き止めて動いてくれるから正確性が高い。その人を信じるのはコスパが良いのだ。

 

で、話が飛ぶのですが、「疑う」ことのスペシャリストがビットコイナーだと思っている。と言うかイメージでそう思ってる。勝手に。

 

  • 国/銀行を疑ってできたのがビットコイン(※適当なイメージで語ってます)
  • ビットコインは本当に破壊できないのか超調べてる
  • 逆にビットコインを破壊するにはどうすればいいか真剣に考えている
  • 国/銀行/人を疑ってるのでハードウェアウォレットとかの保管方法が洗礼されている

..........

 

とにかくビットコインとか物事に対して疑って疑って、疑いぬいていきついた先がビットコイン保有すること、ってことなんだから凄いものだよなぁって思う。もう至る所で滅茶苦茶コストかけてて石橋叩きまくってるんだから。

 

インターネットが遮断されたらどうなるか、とか、51%問題起こるのかとか、電気が無くなったらビットコイン無くなるのか、とか、とにかくビットコインが壊れる要因になることに議論を重ねて今に至る感じだ。多分。イメージです。調べるの面倒なのでそこまで調べてない。

 

その「疑う」スペシャリストたちがお墨付きでOKだしてるビットコインがあるんだからもう信じちゃっていいよなぁ~っていうことで投資しちゃおうっていうのが背景にあります。まぁ、最もな理由は4年に1回の半減期なんだけども。

 

世の中的にはビットコイナーは悪の手先(※日本国内のイメージ)ですが、中をのぞけば多分これこそが真理で絶対正義とかそういう宗教的な奴。いや正義もクソもないんだけど。

 

で、ここで私自身が「疑う者」だったら、上記の内容は本当に正しいのか?というのを議論を1から見直してみたり、ビットコインの仕組みを勉強して正しさを証明する方向に動くのですが、残念ながら私はただの学の無い一般人でありそんなことに時間を費やしていられないので、「信じる」を使わせてもらいます。